ボーカルグループ物で最初に購入した輸入盤LPレコードは,学生時代にお茶の水のレコードショップで購入した "The Cool, Cool
Penguins" のリイシュー盤でした.とにかく格好いいクールなジャケットで,内容もバラードからアップテンポまで "The
Penguins" 全盛期のDooWopナンバーが収録されたアルバムです.シュリンクラップがまだ残っています.
DooWopの浸透
ボーカルグループのレコードを探し始めた1975年頃は,日本ではDooWopという音楽ジャンルはまだ浸透しておらず,"Rhythm &
Blues" の "Vocal Group" というのが一般的だったと思います.DooWopの呼び名は,1970年頃,ニューヨーク市のラジオ局
"WPIX FM-102" のDJ,"Gus Gossert" が名付け親といわれています(山下達郎氏のウェブサイト
「The Doo Wop Street Corner」より).日本でDooWopという音楽ジャンルが知られるようになったのは,1970年代後半に鈴木雅之氏が率いるシャネルズが出現し,DooWopの大ブームを巻き起こしてからだと思います.
シャネルズと新宿ルイード
新宿のライブハウスでDooWopをやっているグループがいるとの話を聞き,話半分で早速でかけたのですが,顔を黒塗りにしたシャネルズというグループが本当にDooWopをやっていました.アマチュアとは思えないエンターテイメントなステージで,"The
Coasters","The Cadillacs" のノベルティなスタイルと,"The Chords",
"The Dubs" のDooWopハーモニーで聴かせるスタイルとを織り交ぜながら,見ているものを飽きさせない楽しいステージを展開していました.カウンター席でたまたま隣にシャネルズのリーダー・鈴木雅之氏のお父さんが座られ,お話をしたことがあり,「姉の影響で弟がR&Bを始めた」と話されていたことを今でも印象深く覚えています.
鈴木雅之氏が率いるシャネルズは,1977年,当時最高峰であったアマチュアのバンドコンテスト "EastWest" に出場し,決勝大会まで進出して入賞を果たしました.この頃,シャネルズはライブハウス・新宿ルイードを本拠地として,週末の夜にライブ活動をやっていました.その後,プロとして1980年1月に発売となったランナウェイ(作詞:湯川れい子,作曲・編曲:井上忠夫)が大ヒットし,メジャーの仲間入りをしたのは皆さんご存知の通りです.
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